■30年以上付き合っているアレルギー性鼻炎の季節を迎え、毎年のことながらその鼻炎に悩まされながら編集した13号をお届けします。
今回の特集では、最近の新聞・雑誌の紙面で毎日のようにお目にかかるASPを取り上げました。特集記事の構成では、「いろは通信」の代わりに特集記事コラムとして「米国ASPコンソーシアムの動向」を入れました。
社長対談の取材で、千葉の幕張にある放送大学学園を訪問し、設備も見学させていただきました。明治以来続いている学校に通って勉強をするという教育形態は、ITの発達、価値観の多様化などにより、大きな転機にきている感をより深くしました。遠隔教育による新しい塾や、インターネットを活用した家庭学習など、いろいろな教育形態が生まれそうです。要は「個々人にあったやり方を選択して個人の能力を向上する教育」の原点に立ち返り、個人が自分に合う手段が選択できる時代が到来しつつあるようです。 (田島)
■先日、大好きなドラマが終わってしまいました。巷ではBL(BeautifulLife)と呼ばれていたそうです。若い人の話は略語が多くて何を言っているのか判らない事が多々ありますが、この業界はさらに上をいっている気がします。略語や専門用語が多いため、コンピュータ用語集が手放せないからです。「SO−」の誌面では、できるだけ用語説明をつけるように気をつけたい と思っています。 (上野)
■今回から特集本文記事に「以心電心」という名前をつけました。この名前は谷口正和著「デジタル感性」(産能大学出版部発行)の中に出てくる言葉で、筆者のご了解を得ています。この意味するところは次のとおりです。
「古来日本ではコミュニケーションの究極として『以心伝心』が尊ばれてきた。これからの情報社会ではデジタル=電脳のよる『以心電心』」の時代になる。情報社会で生活する私たちにとっては、これからもますます高度化・複雑化していく技術の優位性ではなく、その技術を採用することで日常生活がいかに豊かになるかが重要である。できれば“複雑怪奇”“意味不明”の技術は見えないかたちで生活に組み込まれていることが望ましい。本当の意味での技術とは、『技術』そのものを指すのではなく、人間らしさ溢れる『心』であるべきである。」(一部「デジタル感性」から引用)
これからもこの「以心電心」の名前に負けないよう、情報発信を続けていきたいと考えています。引き続き、ご支援、ご愛読をお願いします。(相磯)

「漱」・・・21世紀の漱石
夏目漱石の「漱」である。「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」と言えば、ひどいこじつけのことだ。かつて中国の賢人が山林に隠れ住んで清貧の生活を送ろうと思い、「石に枕し流れに漱(くちすす)がん」と言おうとしたところ、誤って「流れに枕し石に漱ぐ」と言ってしまったという。誤用をとがめられた賢人は、「いや、流れに枕するのは俗世の汚らわしいことを聞いた耳を洗うためであり、石に漱ぐのは歯を磨くためである」と答えた故事によるらしい。そこから「漱石枕流」と言えば、こじつけのことを指すようになった。しかし待てよ?である。常識同士をつなぎ合わせても、何の新も異も生まれてこない。新、異は常に強引なこじつけから生まれてくると言ってもいい。「バイ・ソシエーション」という概念があるが、これは「人間の創造性とは、それまで全く違った脈絡に存在していた2つのものを衝突させ、統合させる」という意味だ(アーサー・ケストラー)。ピカソの絵は正面図も側面図も強引に一枚のキャンバスの中にこじつけたから新であり異なのである。虚実皮膜、色即是空。目にみえている事実(本当に?)にだけ拘泥していれば、どこにイマジネーションを働かせる余地があるのだろうか。イノベーションは、言ってみれば強引なこじつけから生まれるのだ。アインシュタインも言っている、「イマジネーションは知識より重要だ」と。「漱石枕流」に突破口あり。思い切ってこじつけてみよう。
橋田正一(ライター)