桑は神木である、という概念が古代中国にはあったらしい。無論、そこここに生えている桑の木が全て神木であるわけではない。「扶桑」とよばれる特別な桑の木である。
東の海上にこの桑の神木・扶桑が一本生えている。日々の朝陽は、この海上にそびえ立つ巨大な親睦を伝わって昇ってくるという。転じて、扶桑はその神木が生えている土地、
すなわち日本をさすことにもなった。想像をさらには逞しくすると、さながら太陽は光り輝く蚕といったところか。
桑が東の海上に屹立する神木に見立てられているのは『説文解字』とよばれる古典中においてだが、これより時代をさかのぼった『列子』にはもっと荒唐無稽な世界観が現れてくる。
やはり東の海原の果てに帰墟とよばれる底無しの谷がある。ここには世界のすべての河川、すなわち地上の大河はいうにおよばず、天の銀河ですら流れ込む。この巨大な谷には浮き島が
五つあり、一つの島を巨大なウミガメ三匹が六万年交替で支えている。ところが都合十五匹のウミガメのうち、六匹がある日巨人に連れ去られた。五島のうち支えるものがなくなったニ島は
漂いだし、やがて北極に没してしまったという…。なんとも日とをくった話である。世界観、あるいはパラダイムに飛躍と誇張とユーモア、そして不思議なことに奇妙な秩序性がある。さて、
扶桑の国に住む読者子は、世紀の変わり目の朝陽が”よじ登ってくる”さまをどのような思いで見届けられたのであろうか?
梅澤北明(ライター)
|