40億年の生物史の中で人類が直立歩行を始めて500万年、文化らしい文化を築いてからは数万年となります。人類は基本的に生物の新入りでしかありません。しかしながら人類は他の生物と違ったものだと認識してしまって、自分たちを知覚生物だと思い込んでおり、これは人類が20世紀で冒した大きな過ちです。
他にも、非常に簡単な法則を見つければ、それで全ては解決されると思い込んでいるのも人類の大きな過ちです。いわゆる近代合理主義ですね。たとえば自然の木を切り刻んで水素や炭素に分けて、全部切り刻んだものをもう1度繋ぎあわせて木を作ろうとしてもできません。つまり人類は地上でどれだけ発展できるかを崇拝する拡大至上主義、別の言い方をすれば人類至上主義に向かってしまったのです。
私は飛騨高山に移住してから22年間木を削ったり山の中を歩いたりしてますが、常々人類と他の生物とでは生きるコンセプトが違うと感じています。例えば植物を例に挙げると、植物のほうがバランス良く生きるためのノウハウは人類より遥かに高いのです。植物はまったく動かず、さらにいっさいのゴミを出さなくても生産できますから。
このような人類が冒した大きな過ちを越えていくためには、人類と人類以外の生物がきちんとコミュニケーションをとらなければなりません。他の生物とのコミュニケーションができていないから人類は偉いと思ってしまうのです。人類だけがコミュニケーションできるという考えは大間違いです。人間のコミュニケーションの手段が圧倒的に視覚や聴覚に限られているために、他の生物とコミュニケーションをとれないと思い込んでいるだけなのです。人類を含めた生物の本質を調べると、視覚や聴覚以外の香りとか触覚とか舌のほうが心の奥を揺さぶるそうです。
例えば木の上に家を作って寝てみると、「ああ俺やっぱ猿だったんだな」とか「これのほうが安心するな」とか思いますよ。木の家がいいと感じる最大の原因は金属やガラスと違って、触るとでこぼこして感触がいいからです。また香りの話では、私はすぐ森へ行きますが、朝・昼・夜の匂いは違いますし、森に囲まれていると何よりも元気になったりリラックスしたりできます。
コミュニケーションは本当に難しいものですが、人類は生物の中で一番コミュニケーションが悪いと思います。言葉やコンピュータ、カメラを含めて、嘘を伝えるコミュニケーション技術をかなり発達させてきたからです。しかもそれが精巧になったとき、多くの人が嘘である仮想現実とリアリティーの区別がつかなくなってしまうわけです。
例えば森の中で遊んでいれば、リアルな鳥の声とヴァーチャルな鳥の声との区別は簡単につくはずです。私の電話は保留にすると録音した鳥の声が流れるようになっていますが、先日電話をかけてきた方が保留状態の時に聞いた鳥の声のことで、「稲本さんのところ鳥の声がするね」っておっしゃっていました。古いコミュニケーション技術である電話を通してさえも、私たちは仮想現実とリアリティーの区別がつかなくなってしまっているのです。
私はコンピュータなどのテクノロジーの発達は人類にとって良いことだと思っています。大切なことは、仮想現実としてのテクノロジーとリアルな自然とのバランスです。テクノロジーと関わることで逆に人々が自然にもどる、そんな社会の到来が望まれるのではないでしょうか。
稲本 正(いなもと・ただし) |