「ウォルト・ディズニーからポリゴン・ピクチュアズのこれからをヴィジュアライズする。」
ポリゴン・ピクチュアズ代表取締役社長 河原敏文


僕は1975年から77年までUCLAに留学していたんですが、そこでラッキーにもコンピュータグラフィックスアートのパイオニアと言われているジョン・ウイットニーに出会いました。彼との出会いがコンピュータグラフィックスの世界に足を踏み込んだきっかけです。

ただ、当時のアメリカでさえコンピュータグラフィックスというものをほとんどの人が知らないという状況でした。今でこそ花形業種と言われていますが、コンピュータグラフィックスは歴史が古くないのです。ですから僕が77年に日本に帰ってきても、その分野の仕事は何もありませんでした。80年に独立するまで、しばらくデザイナーの仕事もしていましたから。その後コンピュータグラフィックスが目玉のひとつになるつくば万博が開催され、さらに小型・高性能のワークステーションが登場し、一躍誰も何も知らない分野が注目されてくるわけです。

そして、70年代後半からCGプロダクションがたくさんつくられるわけですが、コンピュータグラフィックスの経営は非常に難しく、これまでに小さなプロダクションからワーナーデジタルやボスフィルムといった大きな会社まで倒産してきました。なぜ経営が難しいかというと、まず、今でもコンピュータグラフィックスは高いコストがかかります。機械はまだ高いですし、頻繁に買い替えなければなりません。そして無数のCGプロダクションとの熾烈な競争に勝つために、質の高いものをつくらなければなりません。要するに、クオリティー競争と価格競争を同時にやらなければならないわけです。

次に、CGプロダクションが受注産業であるということが経営を難しくさせます。これは最大のボトルネックと言えます。今でこそコンピュータが安くなったりソフトが良くなったりしたので、コンスタントに仕事が来てそれなりに良いものを作っていれば、経営は成り立ちます。ところが受注産業であるために、いつ仕事が来るか分かりません。相手の都合もあります。ですから、受注する仕事が止まると収入源がないので、即キャッシュフローに困るという事態に陥ってしまうわけです。

そこでポリゴンピクチュアズは83年につくりましたが、その経営目標として組織を大きくしないで誰もやっていない超ニッチな分野で仕事をする、ということを掲げました。例えば10周年記念の93年にポリゴンピクチュアズのCG作品集をレーザーディスクに収めて出版しましたが、これはILMもピクサーも誰もやってない世界で初めての試みでした。

また、大きくしても受注に頼らない企画提案型の会社にするという目標を掲げました。そこで規模の大きな仕事を経営的にリスクなくこなしていくようにするためにはどうしたら良いのか、ということを考えたときに見本になった人がウォルト・ディズニーです。つまり、自分たちが知的所有権を持ち、ロイヤリティーを発生させ、研究開発が自由にできる環境をつくるということです。ここでは実際に売れるようなアニメーションやデジタルキャラクターをつくるということが大きな構想で、その結果として生まれたのがイワトビペンギンでした。

ディズニーは、今まで誰もが持たなかった世界で一流の夢とビジョンを持っていました。同時にそのことに賛同したアニメーターや経営者がディズニープロダクションを支えました。ですから現在進行しているCGの映画でも、子どもからおじいちゃんまで楽しめる超エンターテイメントで超芸術の、なおかつ大スペクタクルで一生あのシーン、セリフ、音楽が忘れられないとみなさんが思うような作品を僕はつくりたいのです。


河原敏文(かわはら・としふみ)
1983年に株式会社ポリゴン・ピクチュアズを設立。1997年にナムコ、ソニー・コンピュータエンタテインメントとともに株式会社ドリーム・ピクチュアズ・スタジオを設立、代表取締役社長。現在、全編フルCGによる劇場映画を制作中。「XYZ:河原敏文とポリゴン・ピクチュアズのコンピュータ・グラフィックス」(パイオニアLDC)他著書、訳書、ビデオディスク多数。1993年に毎日デザイン賞を初めてCG(同氏の作品)で受賞。