「カリフォルニアでの3年半を振り返って」

1994年7月、私は米国カリフォルニア州の通称「シリコンバレー」の一角であるマウンテンビューに赴任しました。一足先に赴任していたNTTの研究所の方たちとご一緒に、シリコンバレーにある企業やスタンフォード大学などと協力して、インターネットに関する様々な研究活動を行うためです。

英語にも全く自信がなく、海外生活どころか飛行機に乗るのも初めての私は、さすがに最初は不安でいっぱいでした。しかし、現地で業務をはじめてみると、シリコンバレーの素晴らしい環境にすっかり夢中になり、当初の不安もふっ飛んでしまったのです。

まず地理的には、オフィスと同じビル内にはLotus、昼飯を食べに行く近所のサンドイッチ屋のビルにはできたばかりのNetscape、車で10分の距離にSGIやSunがあるなど、まさにシリコンバレーのど真中という感じでした。

また、時期的にはちょうどこのころ、革新的なソフトMosaicの登場をきっかけとしてWWWブーム(これがそのままインターネットブームになっていきました)がまさに始まりかけていたころでした。それから私がアメリカにいた3年半の間にNetscapeの大躍進、Javaの登場と爆発的な広がり、Netscape対Microsoftの激烈なブラウザ戦争など、業界にとって大変な影響のある事件、動きが次々と起こりました(年表参照)。これらのできごとを現地でリアルタイムに肌で感じることができたことは、ソフトウェアエンジニアとして本当にラッキーな経験だったと思います。

こういった数多くの激動の中でも、個人的に特に大きな影響を受けたのは、やはりJava技術です。サンノゼで開かれた展示会で、WWWページ上でくるくる動く顔のデモを初めて見たときには、「なんだWWW上のアニメーション技術か」くらいの感想で、あまり衝撃的な出会いというわけではなかったのですが、その後、HotJavaブラウザを入手していじりまわしているうち、Javaの可能性に気付き、業務で行っていた研究試作のプロジェクトでもすぐにJavaを使用することになったのでした。

実際にJavaでプログラムを開発してみると、よりいっそう素晴らしいと感じるようになりました。クラッシュしない、再利用性が高い、オブジェクト指向ですっきりとプログラミングできるなど理屈はいろいろつけられますが、とにかく「快適にプログラミングできる」の一言につきます。もちろん、まだ未成熟な技術でもあり、細かい問題点も多くあるのですが、私が以前に使っていたC++とは比べ物にならない、というのが正直な感想でした。

Javaにのめりこんでから、シリコンバレーのどこかで毎晩のように開かれているユーザグループによる勉強会にも顔を出すようになったのですが、そこではアメリカのプログラマのエネルギーに圧倒されました。仕事を終えた後、いろいろな会社から集まったTシャツにGパン姿のプログラマ達(20代の若者から自分の父親くらいの年齢の人までいます)が、プライベートな時間を使って熱心に勉強したり議論する姿をみて、日本ではあまり感じられない「プログラマの誇り」のようなものを感じました。アメリカ人は残業はあまりしませんが、こういった自分への投資は怠らないんだな、という感想です。
1998年1月に私は日本に戻りましたが、戻ってみるとソフトウェア業界でのアメリカの大きさを余計に感じます。日本でも将来の核となるようなソフトウェア技術を生み出していけるよう、アメリカで学んだ「技術」と「エネルギー」を活かして、この業界に少しでも貢献できたらと思っている今日この頃です。



年表「アメリカでの主な情報産業界動向」へ



技術開発部 メディア処理技術センター
設計主任  関谷和愛
(1994.7〜1998.1カリフォルニア支店勤務)