私は高校を卒業するまで、静岡県の伊東市に暮らしていたのですが、小学校時代に生まれて初めて見た映画を通して、そして芸者さんを通して英語と接しました。
私の母親は美容師をしておりましたので、芸者さんがお座敷に行く前に着付けや髪結いのために、よく家に出入りしていました。そこで仲良くなった芸者さんがよく私を喫茶店や映画館に連れていってくれました。小学校時代は3日学校に行くと1日休むという調子で非常に欠席が多くて、先生が心配して家庭訪問に来るという困った生徒でした。学校を休むと芸者さんに貰ったおこづかいで、映画館に入り浸っていました。映画館へ行くと、アラン・ラッドやジョン・ウェインが映画の中で、大きな肉を食べているわけです。当時肉なんて食べたことがありませんから、あのでっかい塊はいったいどこにあるのかと、いつも思っていました。私は、自分の置かれた環境と映画の世界とのギャップにとても驚いて、現実をよく忘れたいと思っていたのです。多分、そういう世界に飛び込んでいきたいという想いが英語に向かわせた最初の動機でした。
そのまま中学に入って、最初の英語を鈴木先生という方から習って、家に呼んで下さったり、ただ飯を食べさせてくれたりと、極めて楽しかった思い出はあるのですが、英語そのもののことは何も覚えていません。ただ、我々の世代は、戦後最初にアメリカ文化の洗礼を受けた世代です。中学の初めころ、テレビが普及しはじめて、『パパは何でも知っている』とか、『ララミー牧場』、『ガン・スモーク』といったアメリカの番組を見て育ちましたから、自然に気持が無批判にアメリカに向いてしまうというところがありました。考えてみると、中学高校時代は、その傾向をどんどん強くしていったという気がします。
高校に入る頃には、私は外国物が割合に好きだったこともあり、金物屋の息子である友人宅の倉庫に集まって、小さなレコードプレーヤでドーナツ盤のレコードを聴いていました。しかし、ただレコードを聴くだけでなく、聴きながらノートに歌詞をカタカナで書くのです。それを金物屋の倉庫でみんなで歌っていたものです。北原謙二さんが『ノースウィンド(北風)』という歌をカタカナ英語で歌ったように、我々はそれをマネしていたわけです。
そして、高校に入って最大の出来事が起こったのです。高校のときに露木先生という方が英語の先生になったのですが、先生が基本文型200という小冊子を、授業で毎回暗唱させたのです。授業の最初に必ずこの200の文型を10文型ずつ徹底して暗唱しました。先生が「13番」と言うと、全員が13番を英語で一斉に言う。「大杉、5番」と言われると、私は5番の英語を言う。私は英語の勉強をきちんとしたことがなかったので、この基本文型200がまさしく私にとって英語の勉強の原点だと思います。これによって、とにかく文型がたくさん頭の中に入りました。一所懸命だったので、これはどういうものなのかと、分析する余裕さえもありませんでしたが、やみくもに覚えたことは、少なくともその時点では私にとってはよかったという気がします。
英語を習うとき、分析する態度が英語の上達に邪魔になると思っています。分析する態度は研究者にとって極めて重要ですが、学習者にとって、それは必ずしも重要なことではありません。これは何度か取りあげたことがある例ですが、よく試験にto不定詞の用法を当てなさいという問題がありました。例えば“I brought a net to catch some butterflies.”という例文の中の“to catch”は何用法か、という問題があったとします。これは、捕まえるための網というふうに解釈すれば形容詞用法ですが、捕まえるために持ってきたと解釈すると副詞用法になります。私たちは話すときに、副詞用法とか形容詞用法とか考えないで話していますから、私は、そういう分析することが、英語を話すことにどれほど良い影響を与えるか、大変疑問だと思っています。
さて、私は東京の大学に入って下宿生活をはじめたのですが、学校までバスに乗らずに英語を暗唱しながら歩いて通っていました。大学に入って、脳みそに入っていない英語をしゃべれるようになりたいと思っていました。下宿で借りたラジオでNHKの英語放送やFENを毎日聞いて、周りを全部英語圏にしようと思いました。下宿でいつも英語を聞いて、話す方は人の書いたものを歩きながら暗唱して覚え、口に出して言う。それを繰り返しました。例えば、日本国憲法第9条、安保の条文、ケネディの就任演説を英語で覚えました。
さらに、英会話のテキストを覚えて、歩きながら独り言で全部言うということをはじめました。ひとり二役とか三役とか全部やりながら、自分で会話しながら歩く。それでも自分の言葉でないので、歩きながら英語で実況中継をはじめる。歩きながら英語で実況中継というのは、英語で全部目にはいるものを中継しながら歩く。“So, I'm walking on this road. Here comes a taxi.”というのずっとやる。寝る時にはまた一日のできごとをひとりで言いながら寝る。
このようなばかばかしいと思われることを続けることで、やさしい英語はいつでも使えるようになっていました。つまり、やさしい英語を常に引き出しから引っ張り出して使える状態にできるようになった。ほとんどの人は、語彙力や文型の力からいえば、おそらく相当なものを持っていますが、どこの引き出しのどのへんにしまい込んだのかは、分からなくなっているのです。頻繁に自由にいつでも英語を取り出して使う状態にすることがなかなかできない。それをできるようにしなければいけない。
英語とのつきあいはとても長いですが、英語の学習に終点はありません。ちょっと練習を怠れば、ボキャブラリーは減り、話すスピードは落ち、良い表現は浮かばなくなります。だから外国語は常に、少しでも接しているようにしなくてはなりません。自分を叱咤激励して、励ます方法を知らなければならない。私は、自分の下宿にアメリカの大きな地図を張って、毎日その地図を眺め、いつか行こう、いつか行こうと思って自らを励ましました。そういう、何か励ますものを持つことが大事です。こういうものを持っていて、勉強の方法を知っているのが、外国語の学習者としての自立した姿です。そして自立した学習者は楽しみながら勉強をするノウハウを知っています。例えば英語の放送を聴いて、映画を見て勉強する。このようなノウハウを知っています。「学校はそういう自立した学習者を送り出すところ」が、私の目指すことであり、また、学習者全員のみなさんに目指していただきたいことなのです。
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