私たちはどこまで外部から提供される情報を中心にして日々行動しているのでしょうか。実のところ私は、現在の定量的な拡張を中心とした情報化社会に対して疑問があります。人間の情報処理能力に限界があることを考えると、低水準であり、単純な購買行動を刺激するような情報が洪水のように溢れる現在の情報社会は、知的な発展を逆に阻止しているのではないかと思うのです。そこで、生活の質的向上と均衡化に主眼をおいた“LESSISMORE.”という考え方を、私たちは真剣に受け止めなければならないのではないでしょうか。
情報技術との融合は確かに自動車産業が抱えている問題を解決するひとつの大きな可能性を秘めているのかもしれません。しかし自動車産業の視点から見ると、いま自動車メーカーが持ちえている技術的なコア・コンピタンス、言い換えれば利益の物質的源泉は、エンジンしかないのです。情報技術は自動車産業のコア・コンピタンスではないし、エンジン以外の部品は、すでに他のメーカーから調達しているのが現状です。
自動車メーカーがどのような次世代カーを作っていくのか、また自動車が構造的に抱えている問題は何かということを考えるとき、情報技術が全てを解決してくれると判断するのは少々短絡的だと思うのです。なぜなら、情報技術的な視点でそれは本当に可能なのか、社会的に受け入れられるのか、自動車の大衆的な普及がもたらした環境破壊と燃料等の自然資源の枯渇に、どこ迄本格的に対処できるのか、システムの安全性は確保できるのかといった解決しなければならない問題があるからです。
さらに普通のエンジンであれば技術的な差はもうない、誰もがある程度作れるということであれば、コスト競争をするしかなくなってしまいます。コスト競争の大きな問題点は、自動車産業だけにかかわらず次世代モデルの研究・開発を阻害する要因になることで、企業は避けなければならない道です。さらに、現在進められている新しい燃料電池の開発には、自動車産業以外のメーカーも参入してきており、コア・コンピタンスであるエンジンの部分を奪われてしまう可能性があるわけです。
そこで自動車産業は、車そのものの位置付けと車の使い方の見直しが必要になってくると思います。つまるところ、将来の付加価値の源泉が何になりえるのかということを真剣に考えなければなりません。
カー・シェアリングやカー・プーリング、カー・リーシングの可能性があります。個人が自動車を保有する必要があるのか、自動車にひとりで乗る必要性があるのかということは、ひとつのポイントだと思います。時間の価値が見直されている現在、渋滞にわざわざ巻き込まれ数時間かけて情報にアクセスするのは、非合理的で非効率的です。
そこで、自動車産業はこの問題を解決するために、モビリティ・プロバイダーとしての将来を目指すべきではないかと思います。つまり自動車を保有資産と単体の移動手段としてではなく、移動システムの一環として考え直すことが必要なのではないでしょうか。日本では自動車だけでなく鉄道やバスといった代替交通システムが非常によく整備されています。無理をしてでも個人に自動車を販売するということではなく、自動車産業という枠組みを越えて構造的に移動を考えることが大切になってくるのではないでしょうか。
この考えでは、異業種他社との連携の結び方とその活用が重要になってきます。日本人同士であるならばという条件つきではありますが、異業種との連携プレイのうまさは日本企業の強みなので、日本のメーカーは新たな移動システムにインテグレーテトされた次世代カーをリードする大きな可能性と潜在能力を持っていると思います。
こうありたいという夢を抱くのは自由です。しかし、その夢を限られた資源、限られた時間、限られた空間の中で実現させるためには、競合相手が安易に模倣できない、これまでと全く違った方法や演出が必要です。いろいろな夢と選択肢の可能性を抱きながら現時点での選択肢を拡大し、社会的な問題解決に大いに貢献するような最適なモビリティのあり方を提供する。それが情報産業と自動車産業の融合である可能性も多いにあるのです。
エンノ・ベルント
1960年旧東ベルリン生まれ。1990年、ベルリン・フンボルト大学東洋学部社会学博士号取得。その後、ベルリン・フンボルト大学学際文明研究所講師、野村総合研究所嘱託研究員などを経て、1994年、立命館大学経営学部助教授に就任、現在に至る。また1996年より、ダイムラー・クライスラー社会技術研究所シニア・アドバイザーを兼務。
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